2012.05.17 Thursday
また歳をかさねて。
今月、また歳を重ねた。 ゆえに我を述壊す。
私は自分を人に大きく見せるのがへたくそな人間だ。身の上の話をしようとするなら、すぐに頭の中で
「口だけでその人間の能力や実績を証明できるものか。」と嘯いてしまう。
だからいつもきっと損をしている。そしてなるべく会話の中で自虐的になり、簡易的でインスタントなコミュニティの
ヒエラルキーの中でいつもサスペンドしようとしてしまう。それが正しいのだと、いつも念じているかのようだ。
しかし、自我を開放するのであれば、それは全く違うし無理がある。
カンの良い人間、徳のある人間、気の使える人間、いろいろあるが、要するに感性の高い人間にとって
ビッグマウスでどうにかしようとする人間は、すぐに見透かせるのである。だからそういう人と接するととても疲れる。
言論や絵筆や楽器や踊りでもなんでもいい。自己を表現できる術を持っている人は幸せなのかもしれない。
優良企業に属している事や、平均より高いと言われるような収入は、いくらあっても自らのアイデンティティの対価には
ならないからだ。私も大手企業の中身を見てきたが、本当に会社が必要としているコア開発ができる人材は全体の2%ほど
なのだそうだ。だから、その他の人材は会社からすればはっきり言って誰でもいい。
そしてこの誰でもいい人材たちは、時にとてもたちが悪い。
自らの能力や立場を勘違いして、自らが属している優良企業やグローバル企業と同じ市場価値があると錯覚する。
虚しい人々だとおもった。
自らを表現できる場所があり、そしてその術のある人間はこんな勘違いはしないで済む。
それはプロフェッショナルとしていつもそのフィールドに選手として居るからであろう。
どんなにレベルが低かろうが、馬鹿にされようが、フィールドに立つプレイヤーなのである。
そして外野に居る人間はいつも、外野なのである。この差は大きい。
フェンスに守られ、野次だけは一丁前。そんな生き方に何の意味を持たせられるのか?
そういう人に今さら問うても取り返しは付かないし、仕方がない訳なのだが。
積み重ねていくと見えてくるものが必ずある。
今、これだけは確信が持てる真理である。
僕には、自分にしか感じられないものがある。
それがどれだけ普遍的で愛おしいものなのか、
ようやく分りかけてきたようだ。
私は自分を人に大きく見せるのがへたくそな人間だ。身の上の話をしようとするなら、すぐに頭の中で
「口だけでその人間の能力や実績を証明できるものか。」と嘯いてしまう。
だからいつもきっと損をしている。そしてなるべく会話の中で自虐的になり、簡易的でインスタントなコミュニティの
ヒエラルキーの中でいつもサスペンドしようとしてしまう。それが正しいのだと、いつも念じているかのようだ。
しかし、自我を開放するのであれば、それは全く違うし無理がある。
カンの良い人間、徳のある人間、気の使える人間、いろいろあるが、要するに感性の高い人間にとって
ビッグマウスでどうにかしようとする人間は、すぐに見透かせるのである。だからそういう人と接するととても疲れる。
言論や絵筆や楽器や踊りでもなんでもいい。自己を表現できる術を持っている人は幸せなのかもしれない。
優良企業に属している事や、平均より高いと言われるような収入は、いくらあっても自らのアイデンティティの対価には
ならないからだ。私も大手企業の中身を見てきたが、本当に会社が必要としているコア開発ができる人材は全体の2%ほど
なのだそうだ。だから、その他の人材は会社からすればはっきり言って誰でもいい。
そしてこの誰でもいい人材たちは、時にとてもたちが悪い。
自らの能力や立場を勘違いして、自らが属している優良企業やグローバル企業と同じ市場価値があると錯覚する。
虚しい人々だとおもった。
自らを表現できる場所があり、そしてその術のある人間はこんな勘違いはしないで済む。
それはプロフェッショナルとしていつもそのフィールドに選手として居るからであろう。
どんなにレベルが低かろうが、馬鹿にされようが、フィールドに立つプレイヤーなのである。
そして外野に居る人間はいつも、外野なのである。この差は大きい。
フェンスに守られ、野次だけは一丁前。そんな生き方に何の意味を持たせられるのか?
そういう人に今さら問うても取り返しは付かないし、仕方がない訳なのだが。
積み重ねていくと見えてくるものが必ずある。
今、これだけは確信が持てる真理である。
僕には、自分にしか感じられないものがある。
それがどれだけ普遍的で愛おしいものなのか、
ようやく分りかけてきたようだ。









